お茶を淹れる急須には様々な産地の焼き物がありますが、常滑焼(とこなめやき)もそのひとつです。今日は、常滑焼の産地に研修旅行に行ってきた担当者が、レポートいたします。
常滑焼の始まり
西暦1100年頃(平安時代末期)、知多半島の丘陵地を利用して焼き物を焼く窯が築かれました。それらの窯では、釉薬(うわぐすり)を掛けずに粘土を焼き締めた碗、鉢、壷、甕などが焼かれるようになったのです。
技術は何処から伝わったのか?
日本の陶工の名前が作品や文書に現れるのは、安土桃山時代からです。一説によると藤四郎という人物が中国で習った技術を試験した跡というものがあります。
平安時代末期になると高度な陶器生産技術が瀬戸や知多方面にも広がっていき、新たな要素が加えられたものと考えられています。
朱泥急須について
「急須と言えばこの色!」というほどよく見かける朱色がかった茶色のこの焼き物は、朱泥急須と呼ばれています。
朱泥は、中国江蘇省で焼かれている紫砂という焼き物を手本にしたものです。この紫砂で作ったティーポットはお茶の香りが最もよく出るとされ、中国では高く評価されています。
現在の常滑焼
現在では、常滑地域では急須だけではなく、食器、花瓶、インテリア用品などを扱っているようです。むしろ急須以外のものが多いようです。また後継者不足もあるように思います。